2017年9月3日日曜日


門司区、企救半島の突先にある部埼灯台。
私は不勉強で全く知らなかったのですが、ここの投稿等で知って、今日フラッと行って来ました。
---以下、Wikiより転載。
部埼灯台(へさきとうだい)は、福岡県北九州市門司区企救半島の北東端、瀬戸内海周防灘に面した小高い丘の部埼に立つ、石造の大型灯台
大政奉還により江戸幕府最後の年となった慶応3年4月[1]1867年)、兵庫開港に伴う外国船の安全航行を確保するため、幕府がイギリスとの間で締結した大坂約定(大坂条約)で設置を約束した五カ所の灯台の一つ[2]。明治新政府が事業を引き継ぎ、「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、1872年関門海峡の東・周防灘口の九州側の位置に建設されたもの[3]。現在、関門航路及び門司港の東南端となっている。
この灯台は、歴史的文化財的価値が高いAランクの保存灯台で、日本の灯台50選にも選ばれている。
ーーーー転載終了。


なかなかいい施設が残っていたのですね、不勉強でした。

下関から小野田市方面まで一気に見えてしまう眺望!
特の今日は、素晴らしい眺めです。


灯台直下の海岸には松明を掲げた人物像がありました。
この人物は江戸時代後期の巡礼僧で名を『清虚(せいきょ)』。
巡礼途中に【念仏埼】と呼ばれ海難が絶えない関門海域の状況を憂い、それ以降亡くなるまでこの地で焚き火を絶やさなかった人物です。
清虚は托鉢で得た浄財の内、一食分を残して他すべてを薪代に当てたそうです。
清虚の遺志は現在に受け継がれ、15秒に一度放つ閃光によって関門海域を照らし続けています。


© Kakigami Naoto(垣上尚人)

 
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