2013年12月11日水曜日

Tanga Nocturne #3
作:木本 和久


「とても魅力的な話ですが、僕に購入する資金があると思えません。知り合いの不動産屋を紹介しましょうか? それと、出来れば僕に入居するチャンスをもらえませんか?」
「いえいえ、あそこに入居する選考は私がやっているわけではないのです。ここだけの話、その選考はイタリアに住むある著名なキュレーターがやっているのです。この方も、妻の古くからの友人で、僕はお話さえしたことありません。イタリアの言葉を話せるわけでもありませんしね。それに、あそこは値段がないのです」
「え?」
「川の上でしょう、あのアトリエは。川の中から柱を建てて、そこに長屋を作っている。まあ、違法と言えば違法ですな。戦後のどさくさにまぎれて作ってしまったらしいのです。何度となく立ち退き話はありましたが、それなりに有名な場所になったし、誰に迷惑かけているわけでもないので、最近ではもう黙認されています。ただし、家賃収入はありません。だって、違法なんですから、建物自体が。そんなところで商売するとお上も黙っていないでしょうね。考え方としては、川の上に芸術家の人たちが夜な夜な集っているといった認識の上に成り立っている場所なんです」
「屋台みたいですね。そんなことが許されるのですね、びっくりです」
「そうそうない話でしょうな。まあ、だけどそんなところです。しかし、誰か管理者はいるわけです。法律上、所有してはいけないけど管理してくれということみたいです。というわけで、お金は一切かかりません。よければ連絡ください」
 その紳士は、名前を電話番号だけが記された名刺を僕にくれた。そして、トイレに行くと退席したまま、帰ってくることはなかった。飲んだフィーを払った様子もなかったが、僕の分まで払って帰ったようだ。

 帰り際、僕はバーテンダーに尋ねてみた。
「お聞きになられたと思いますが、どう思われますか?」
 バーテンダーはこう言った。
「楽しそうにお話されてましたね」
 それだけを言うと、小さく頷いた。

© Yoshiaki Tani(谷 賢明)
―了―

『旦過ノクターン #1』
『旦過ノクターン #2』
 
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